忍阪街道 帰宅ラン
帰宅ラン。
いつも同じコースばかりでは気が滅入るので、何か良いコースはないだろうか。
そう思ってGoogleマップとにらめっこしました。
宇陀と桜井を隔てる山の稜線に男坂という場所があります。
男坂は過去に山の中を走って行ったことがあるけど、昔の事であんまり覚えていませんでした。
ここから帰れそうだと思い、さらにヤマレコ等で情報を集めると「忍坂街道」という街道で宇陀に抜けられるということがわかりました。
忍坂街道は、いつも帰宅ランの時に下車する大和朝倉駅の構内に張り紙で紹介されていて、以前から気になっていました。
今回はその忍坂街道を少しワクワクしながら帰宅ランして帰りました。
コースの概要
桜井市の標高が100mくらい
半坂峠が400mくらい
宇陀市が300mくらい
このように片側だけ沢山登る峠を片峠と言うらしい。
ひょっとすると、そういう意味でも半坂峠なのかも。
忍阪(おっさか)集落は、非蘇我系天皇家のルーツ・押坂王家のあったところらしいのですが、知識が無さすぎて何も語れない。
粟原寺跡
ここにあった三重塔伏鉢(国宝・談山神社蔵)の銘文によると、仲臣朝臣大嶋が草壁皇子のために建立した寺で、比売朝臣額田が持続天皇8年(694)から造営を始め、和銅8年(715年)に完成したことがわかっている。
桜井市ホームページより
ちなみに伏鉢とは以下の写真に記されている箇所のこと
こんな部分が国宝とか、スゲーな!!
物としての価値ではなく、そこに記された内容がこの国の成り立ちを知る上で重要ということなのかもしれない。
よー知らんけど。
粟原寺跡から少し戻ったところに、男坂へのルートがあります。
入り口には常夜灯がありました。
ほぼほぼ舗装されています。
男坂付近から舗装が無くなります。
なんやろ
よく見るとお地蔵さん
男坂です。
ここは半坂峠という場所なのですが
現在、桜井市から宇陀市へと入るには、半坂峠より北に位置し国道166号が通る女寄峠(女寄バイパス)が幹線道となっているが、明治21年(1888年)に女寄峠が改修され荷車が通れるようになるまでは、半坂峠がよく使われていたという。
日本書紀の神武天皇即位前紀戊午年九月の条に「女坂置女軍。男坂置男軍(女坂(めさか)に女軍を置き、男坂(おさか)に男軍を置く)」とあり、半坂峠はこのうちの男坂と考えられている(オサカが、ナンサカ、ハンサカと転訛したと考えられている)。そのため峠には、昭和15年(1940年、紀元2600年祭の一環として)「男坂傳稱地」の碑が建てられ、現在も当地に残る。なお、女坂は、南にある大峠(針道峠)と考えられ、峠には「女坂傳稱地」の石碑が建っている。
歴史古すぎやろ!!
半坂峠から宇陀市側へ下ったところ。
ちょっとだけ藪があり、民家の横から道路へ出ていきます。
宇陀市側も舗装、頑張ろーぜ。
ここからは忍阪街道とは関係なく帰宅ランです。
何やら実のついた木がありました。
これはカヤの実ですね。
久々に見ました。
中にアーモンドみたいな種が入っていて、アク抜きすれば食べられます。
まだ収穫時期ではなさそう。
潰すと油が出ます。
この油も食用や灯火ように利用できるらしい。
しばらく走るとマムシが死んでました。
久々に見た。
身近にいるんやなー、気をつけましょう。
西日が美しい峠を越えました。
宇陀市にて
民家の前に金魚がいます。
よく見ると、錦鯉、金魚をご自由に持ち帰れるそうです。
すげー太っ腹ですね。
いやぁ、なかなか楽しい帰宅ランでした。
ちなみに忍坂街道は近畿自然歩道なので、所々に道標があり、わかりやすかったです。
峠の入口付近だけ道標が劣化しているので、注意して下さい。ヤマレコで下調べしていったので、迷わず行けました。